第4章-1 帝王の鼓動

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帝王の鼓動


かつて文明の頂点と呼ばれた摩天楼の最上階。「帝王の間」。 そこは、重力さえもが主の意思に従うかのような、重苦しい静寂に包まれていた。 玉座に深く沈み込むのは、漆黒の帝王オリジン。彼の周りには、数百の魔人たちが彫像のごとく整列している。

その御前で、リリは完璧な姿勢で跪いていた。 流れるような長い髪、冷徹なまでの美貌。彼女はアメルダ帝国の規律を体現するような冷静さを纏っているが、その瞳の奥には、主への熱狂的な崇拝が渦巻いている。

「オリジン様。ご報告申し上げます」

リリの声は、張り詰めた糸のように美しい。

「ついに、『白の指輪』の在り処を特定いたしました。場所は西の大樹海、神獣の森フォレスタの遺跡です」

玉座の闇が、ごくりと蠢いた。 帝王オリジン。その双眸には、百年の時を経て凝縮された復讐の暗炎だけが宿っている。

「……神を従える力。実在したか」

重低音の呟きが、広間の空気を振動させる。

「はい。サフィラの解析によれば――」

その時だった。 カタリ、カタリ、と硬質な音が響き、闇の奥から少女が現れた。 サフィラだ。 彼女は腐敗などしていない。透き通るような白い肌、ガラス玉のような大きな瞳。それはまるで、精巧に作られた最高級のビスクドールのようだった。ただ一つ異様なのは、その動きが人間のそれではなく、関節がカクカクと不自然に動く操り人形のようであることだ。

「オリジンさまぁ! ほめてほめてぇ!」

サフィラは重さを感じさせない軽やかな動きで跳躍すると、オリジンの太い腕にしがみついた。

「サフィね、いしばん、よんだの。古代の文字、あたまの中でカチカチって音がして、わかっちゃったの!」

サフィラは無邪気に笑い、オリジンの鋼鉄のような肩に、ひんやりとした陶器のような頬を擦り付ける。 オリジンは、腕にまとわりつく少女を完全に無視し、虚空を見つめたままだ。彼にとって彼女は、衣服についた装飾品と同程度の意味しか持たない。

リリは眉一つ動かさず、しかし冷ややかな声音で諭した。

「……サフィラ。オリジン様の御前ですよ。はしたない真似はやめなさい」

「あ、リリちゃんだ」

サフィラは首をコテンと傾げた。その角度は、生身の人間ならば頚椎が折れているほどの傾きだった。

「ねぇねぇリリちゃん。今日のリリちゃんの中身はどんな色? 赤? ピンク? サフィね、いつかリリちゃんの中身、見てみたいなぁ」

サフィラの瞳には悪意はない。あるのは、新しいおもちゃを分解して構造を知りたいと願う子供の、純粋で残酷な好奇心だけだ。 彼女はオリジンの腕から滑り降りると、リリの周りをカショカショと回り始めた。

「リリちゃんの手、あったかいね。ねじったらどんな音がするのかなぁ? ポキッていうかな? グチャっていうかな?」

リリは深くため息をつき、静かに立ち上がった。 その手にはいつの間にか、黒いカードの束が握られている。

「……サフィラ。貴女は少し、ネジが緩んでいるようね。躾(しつけ)が必要です」

リリは扇のようにカードを広げ、サフィラの目の前に突き出した。

「さあ、引きなさい。貴女の大好きなゲームよ。『当たり』を引けば許してあげる。でも、『ハズレ』を引けば……」

リリの目が鋭く光る。このカードは、選択を誤った者の生命力を即座に奪い取る死神の契約書。

「わぁい! カード遊び! やるやるぅ!」

サフィラは恐怖など微塵も感じていない様子で、キャハハと笑いながら、迷わず真ん中のカードを引き抜いた。

その瞬間、カードが黒い煙となって弾けた。 ――死の宣告。

「あッ……」

サフィラの動きが止まった。 彼女の美しいガラスの瞳から光が消え、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。生命活動の強制停止。常人ならば即死する呪い。

リリは倒れたサフィラを見下ろし、冷たい瞳の中に、ほんの一瞬だけ、哀れみのような温かい光を宿した。

(……これで、少しは静かに眠れるかしら。哀れな子。いつか私が、貴女に本当の『死』という安らぎを与えてあげる……)

それが、リリなりの歪んだ愛情だった。終わらない悪夢を生きる人形に、終わりを与えたいという願い。

しかし。

「……なーんてね! ビックリした?」

倒れていたサフィラが、バネ仕掛けのように勢いよく跳ね起きた。

「あはははは! リリちゃんまたハズレだぁ! サフィね、もう死んでるから死なないの! 残念でした~!」

サフィラはケラケラと笑いながら、自分の首の関節をボキボキと調整する。呪いは彼女の体を一度機能停止させたが、魂の定着したこの人形は、すぐに再起動してしまうのだ。

「むぅ……」

リリは悔しそうに唇を噛み、カードを握り潰した。またしても、彼女を眠らせることはできなかった。

「……遊びは終わりです。オリジン様、お耳汚しを失礼いたしました」

リリは瞬時に「姉」の顔から「参謀」の顔へと切り替え、オリジンに向き直った。その切り替えの早さに、彼女自身の激情と理性のせめぎ合いが見て取れる。

「もう一つ、報告がございます。東の『カタナ』……侍たちもまた、指輪に向けて軍を動かしたようです」

その言葉に、オリジンの眉がわずかに動く。 室内の温度が、絶対零度まで低下した。

「……侍か」

地獄の底から響くような声。

「我が覇道を阻むか。相も変わらず、目障りな虫けら共だ」

オリジンが立ち上がった。 サフィラは「わぁ!」と歓声を上げて拍手し、リリは感極まったように胸の前で手を組む。

「聞け!! 我が忠実なる影たちよ!」

帝王の咆哮が、廃墟のビルを揺るがした。

「我々はこれより、フォレスタへ進軍する! 狙うは『白の指輪』! 神の力も、侍の命も、すべて我の手中に収める!!」

「オオオオオオオッ!!!」

魔人たちの咆哮が轟く中、リリは決意を込めた瞳で主を見つめ、サフィラはリリの背中で「次はどんな遊びしよっか?」と無邪気に指を這わせた。

絶対的な虚無を抱えた帝王。 死なない人形に安息を与えたいと願う歌姫。 その殺意さえも遊びとして愛でる狂気の人形。

三つの歪んだ魂が共鳴し、アメルダ帝国の悪夢のような進軍が始まった。

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