
・前の話
・次の話
帝王の鼓動
かつて文明の頂点と呼ばれた摩天楼の最上階。「帝王の間」。
そこは酸素の代わりに重圧が満ちていた。数百の魔人たちが石像のごとく直立し、玉座に沈む唯一の主、帝王オリジンの呼吸音だけに耳を澄ませている。
その絶対零度の静寂の中、リリは完璧な所作で跪いていた。
彼女はアメルダ軍の参謀であり、規律を重んじる「姉」のような存在として、常に理性的であろうと努めている。
「オリジン様。ご報告申し上げます」
リリの声は、透き通るような美声でありながら、一切の無駄を省いた冷徹な響きを持っていた。
「ついに、『白の指輪』の在り処を特定いたしました。場所は西の大樹海、神獣の森フォレスタの遺跡です」
玉座の闇が、ごくりと蠢いた。
帝王オリジン。その双眸には、百年の時を経て凝縮された復讐の暗炎だけが宿っている。
「……神を従える力。実在したか」
重低音の呟きが、広間の空気を振動させる。
「はい。サフィラの解析によれば――」
リリが淡々と続けようとしたその時、どこからともなく「カチッ、コチッ」という機械時計のような、あるいは硬質な関節が鳴るような音が響いた。
「サフィね! サフィね! がんばったのーーー!!」
闇の奥から現れたのは、少女サフィラだった。
その肌は陶器のように白く、瞳はガラス玉のように美しく透き通っているが、そこには生体としての「光」が一切ない。彼女は重力を無視したような不自然な動き――まるで糸で吊られたマリオネットのようにカクカクと跳ねながら、玉座へと近づいた。
「えいっ!」
サフィラは躊躇なくオリジンの太い腕にしがみついた。その体は氷のように冷たく、まるで精巧なフランス人形がそのまま大きくなったかのようだ。
「オリジンさまぁ! 褒めて褒めて! サフィ、いい子でしょ? 頭なでて? ネジ巻いて?」
サフィラはガラス玉のような瞳で見つめ、首をコテンと90度傾けた。可愛い仕草だが、生きた人間には不可能な角度だ。
リリのこめかみがピクリと動く。彼女は深く息を吐き、努めて冷静な「お姉さん」の声色を作った。
「……サフィラ。オリジン様の御体から離れなさい。貴女のそれは甘えではなく、ただの不具合(バグ)よ」
「あ?」
サフィラは首を傾げたまま、虚ろな笑顔をリリに向けた。
「なんだぁ、リリおねえちゃんかぁ。相変わらず顔が怖いねぇ?眉間のシワ、アイロンかけてあげよっか?」
「……誰の顔が怖いんですって?」
リリの理性の糸が、ギリギリと音を立てる。
「オリジン様はねぇ、サフィのこと大好きなの。だってサフィは可愛いお人形だもん。リリちゃんは……なんだろ? お局様?」
ブチィッ。
リリの理性が断裂した。
彼女の表情から慈愛が消え失せ、冷酷な死刑執行人の顔が浮かび上がる。
リリは懐から、禍々しいオーラを放つ数枚のカードを取り出し、扇状に広げてサフィラに突きつけた。
「……いいでしょう。その減らず口、永遠に閉じさせてあげるわ」
リリの目が妖しく光る。
「さあ、引きなさい。『運命のカード(デッド・オア・アライブ)』。当たりを引けば許してあげる。でも……ハズレを引けば、その残った寿命(ライフ)を即座に徴収するわ!!」
それは絶対的な「死のゲーム」。引いた者の生命力を強制的に奪う必殺のスキル。
だが、サフィラは「わーい! トランプ?」と無邪気に笑い、迷うことなく真ん中のカードを引き抜いた。
『DEATH(死)』。
最悪のカード。引いた瞬間に心臓が止まる即死の呪い。
リリは勝利を確信し、冷酷な笑みを浮かべた。
「残念だったわね、サフィラ。それが貴女の運の尽きよ。さあ、絶望して逝きなさ――」
「ん? なにも起きないよ?」
サフィラはカードをヒラヒラさせ、キョトンとしている。
「あれ? リリちゃん、これ壊れてるよ? サフィ、心臓止まらないよ? ……あ、最初から動いてなかった! キャハッ!」
サフィラは自らの胸に手を当て、「シーン……」という効果音を口で言いながらケラケラと笑い転げた。
そう、彼女は既に死んでいる。生命力など最初から存在しない「動く死体」に、即死の呪いなど効くはずもなかった。
「……ッ!! この、ポンコツ人形がぁぁぁ!!」
リリが悔し紛れにカードを破り捨て、地団駄を踏む。
そのコントのような喧騒の中心で――帝王オリジンは、微動だにしなかった。
膝に人形がまとわりつき、目の前で部下が無意味な殺し合いを演じていようと、彼にとっては路傍の石ころ以下の事象。
その圧倒的な「無関心」こそが、彼が帝王たる所以。
「……ふん」
オリジンが、億劫そうに腰を上げた。
「おっとっと!」
支えを失ったサフィラが、関節をカクカクさせながら床へ転がる。
「あはは! 転んじゃった! 誰か糸ひっぱって~!」
リリはオリジンが動いた瞬間、鬼の形相を瞬時に消し去り、直立不動の姿勢に戻った。
乱れた前髪を指で直し、震える声で告げる。
「……し、失礼いたしました。少々、教育的指導を行っておりました。……オリジン様、もう一つご報告が」
オリジンは、床で手足をバタつかせているサフィラなど視界に入れず、虚空を見つめたまま促した。
「東の『カタナ』……侍どもも、指輪を狙い動いております」
その言葉に、オリジンの眉がわずかに動く。
室内の温度が、死体であるサフィラの体温よりも低く冷え込んだ。
「……侍か」
地獄の底から響くような声。
「我が覇道を阻むか。……有象無象が」
オリジンが右手を掲げると、帝王の間の闇が一斉に収縮した。
リリはそのプレッシャーに恍惚として膝をつき、サフィラは「わぁ、暗くなったぁ!」と目をパチクリさせる。
「聞け!! 我が忠実なる影たちよ!!」
帝王の号令が、廃墟を揺るがした。
「我々はこれより、フォレスタへ進軍する! 神の力も、侍の首も、すべて我のものだ!!」
「オオオオオオオッ!!!」
魔人たちの咆哮が轟く中、リリは潤んだ瞳でオリジンを見上げ、うっとりと呟く。
「ああ……素敵……。オリジン様、私の全てを捧げます……!」
その横で、サフィラはあさっての方向を見ながら、壊れたオルゴールのような声で歌い始めた。
「せんそーだ、せんそーだ♪ お人形いっぱい壊れるかな♪ 壊れたらサフィが直してあげるね♪ ぐちゃぐちゃに♪」
絶対的な虚無を抱えた帝王。
理性と激情の狭間で揺れる処刑人の歌姫。
死してなお無垢に狂う美しい人形。
三つの異形が交錯し、アメルダ帝国の進軍が、静かに、そして狂気的に幕を開けた。
・前の話
・次の話
