
第4章-2 神獣の森フォレスタ
西の大樹海、フォレスタ。 そこは太古より神獣たちが守りし聖域であり、人間ごときの侵入を許さぬ絶対不可侵の魔境。 鬱蒼と茂る巨木は天を隠し、濃密なマナの霧が視界を白く染める。全ての生命が調和し平和が保たれる、異様なほどの静寂。

だが今日、その森の静寂は、無慈悲な足音によって踏み荒らされていた。
ズシン、ズシン、ズシン。
大地を揺るがす軍靴の響き。 アメルダ帝国の精鋭部隊――かつて英雄と呼ばれた魔人たちが、オリジンを先頭に森を切り裂くように進軍していた。彼らが通った跡には、草木が枯れ、瘴気が漂う。生命の楽園に対する、明確な「死」の侵略。
「……気持ち悪い場所ね」
リリは眉をひそめ、纏わりつく湿気を払うように手を振った。 彼女の美しい顔には、自然そのものへの嫌悪感が浮かんでいる。 「虫だらけ、泥だらけ。オリジン様の高貴な御足(おみあし)が汚れてしまいますわ」
「わぁ~い! おっきな木! 燃やしたらキャンプファイヤーだね!」
サフィラは壊れた人形のような動きで、木から木へと飛び移っていた。 時折、枝に止まった極彩色の鳥を捕まえようとしては、「あ、逃げちゃった! 次は羽むしっちゃお!」と無邪気に笑う。彼女にとって、この神秘の森もただの巨大な遊び場に過ぎない。
その時だった。
『…………ニャアアアアアオオオオオオオオン…………』
空気が震えた。 鼓膜ではなく、魂の奥底を直接引っ掻くような、巨大にして荘厳な咆哮。 森の木々がざわめき、霧が渦を巻く。 無数の視線――茂みの奥、枝の上、土の中――から、数千、数万の神獣たちの敵意が、オリジンたちに突き刺さった。
「ッ……!?」 リリは思わず身構え、カードの束を取り出した。サフィラも「お?」と首を真後ろに向けて動きを止める。
この地を統べる絶対者、猫神の警告だ。
だが、帝王オリジンは足を止めなかった。 彼は虚空を見上げ、その咆哮を正面から受け止めると、さらに強大な覇気を解き放った。
「獣ども、よく聞け!!」
ドォォォォォン!! オリジンの声が衝撃波となって森を駆け巡る。巨木がミシミシと悲鳴を上げ、隠れていた小動物たちが恐怖で失神した。
「今は貴様らと戯れる時ではない! 我が目的は『白の指輪』のみ!!」
帝王の漆黒のマントが、暴風のように翻る。
「道を開けよ! さもなくば……この森ごと貴様らを破壊し尽くす!!」
その覇気は、神獣たちの敵意さえもねじ伏せるほどに圧倒的だった。森が恐怖に震え、一瞬にして静まり返る。
その沈黙の中。 霧の奥から、一人の少女が音もなく現れた。
猫耳を生やした、小柄な少女。 粗末な麻の服を纏い、裸足で苔むした地面に立っている。その姿はあまりに無防備で、か弱く見えた。 森の守護者、エイミー。
「……帰ったほうがいいよ」
鈴を転がすような、しかし芯の通った声。 彼女は巨大な魔人の軍勢を前にしても、散歩の途中で知人に会ったかのように自然体だった。
オリジンは眼を細めた。 (……ほう) 彼の魔眼は見抜いていた。このちっぽけな少女の内に眠る、とてつもない質量のエネルギー。それは単なる魔力ではない。この森そのもの、いや、星の生命力そのものと直結しているかのような、底知れぬ「神気」。
「……邪魔をするか」
オリジンは無慈悲に右手を突き出した。
「消えろ」
ズガァァァァァァン!!! オリジンの掌から放たれたのは、漆黒の闇の波動。 直撃すれば岩山をも蒸発させる破壊の奔流が、エイミーを飲み込んだ。
「エイミー!!」 森の精霊たちの悲鳴が聞こえた気がした。 爆風が巻き起こり、土煙が舞い上がる。地面がえぐれ、周囲の木々がなぎ倒される。
リリは冷酷な笑みを浮かべた。 「ふん……身の程知らずな小娘。オリジン様の手を煩わせるとは」
だが。
煙が晴れたその場所に、少女は立っていた。 無傷で。
「……なんて、邪悪な……」
エイミーは悲しげに眉を寄せ、焼けた大地を見つめていた。彼女の服には焦げ跡ひとつなく、彼女の周囲だけ、時間が巻き戻ったかのように緑が残っている。 それどころか、彼女が歩を進めるたび、えぐれた地面から若芽が芽吹き、折れた木々が急速に再生していくではないか。
「なッ……!?」 リリの表情が凍りついた。 「馬鹿な……!? オリジン様の波動を直撃して、無傷ですって……!? ありえない!!」
サフィラは「わぁお!」と目を丸くし、首をカクカクさせてエイミーを観察する。 「すごーい! あの子、すっごく頑丈! サフィより頑丈かも! ねぇねぇ、分解してもいい? 中身どうなってるの?」
エイミーはオリジンを真っ直ぐに見据えた。その瞳は、深緑の森のように深く、静かだった。
「指輪は、運命の象徴……。誰の物になるか、それは指輪が決めること……」
彼女の声は風に乗って響く。
「でも、これ以上森を傷つけないで。……次にやったら、私があなたたちを裁くよ」
その言葉は警告ではなく、確定した未来を告げる予言のようだった。 言い終わると同時に、エイミーの姿は朝霧に溶けるように消え失せた。
「……おのれ、逃げたか!」 リリがカードを構えて追おうとするが、オリジンが片手でそれを制した。
「待て」
「し、しかしオリジン様! あの小娘、何者ですか!? 貴方様の攻撃を防ぐなど、神話の怪物でも不可能です!」 リリの声は動揺で震えていた。彼女の絶対的な信仰が、目の前の現実に揺さぶられている。
オリジンは、エイミーが消えた空間を睨みつけたまま、低く呟いた。
「あれはこの森の主……巨大な猫神を従える『器』だ。……面白い」
彼の口元が、凶悪な笑みの形に歪む。
「いずれ、あの力も支配してやる」
「支配! 支配!」 サフィラが壊れたラジオのように復唱し、ケラケラと笑う。 「あの子、あたしに任せてよ! バラバラにして、ネジまき直して、あたしのペットにするんだぁ! キャハハ!」
「……行くぞ」
オリジンは興味を失ったように背を向け、再び歩き出した。 リリは悔しげに唇を噛みながらも、主の背中を追う。サフィラはスキップしながら、見えない「新しいおもちゃ」への期待に胸を膨らませていた。
一行が森の深部、古代遺跡へと到達した時。 そこには、既に別の「気配」が満ちていた。
鋭利な殺気。清冽な闘気。 そして、闇を切り裂くような黄金の輝き。
遺跡の前には、数多の侍たちが陣取っていた。 東の国、カタナの軍勢。 因縁の敵が、今まさに「白の指輪」を巡って、最悪のタイミングで激突しようとしていた。
