
第3章-2 雷鳴の式神:白虎
1. 歪んだ磁場

草木一本生えぬ岩塊の連なり。その山域に足を踏み入れた瞬間、月影(ツキカゲ)は肌を刺すような違和感を覚えた。 (……妙だ。方位磁針が使い物にならん) 彼が持つ羅針盤の針は、狂ったように回転し続けている。 ただ静かなだけではない。ここ一帯の空間そのものが、強大すぎる何らかのエネルギーによって歪められているのだ。空は晴天なのに、絶えず雷鳴のような低い唸り声が地底から響いている。
月影は黒翼を広げ、磁場の歪みが最も強い中心部――巨大なカルデラ状の盆地へと降り立った。 その中心に、不自然なほど平らな巨岩があり、その上で一人の少女が膝を抱えて眠っていた。

白髪に獣耳。資料にある白虎の化身の特徴と一致する。しかし、その姿はあまりに儚げで、いまにも消えてしまいそうだった。

2. 檻の中の少女
月影が近づくと、少女はゆっくりと目を開けた。その瞳は金色だが、ひどく疲弊しているように見えた。 「……また、迷い人? 早く離れたほうがいいよ。ここは『壊れて』いるから」 声に覇気がない。伝説の神獣たる威厳は微塵も感じられなかった。

「私は八咫烏の月影。西の守護獣、白虎に会いに来た」 月影が名乗ると、少女は悲しげに首を振った。 「白虎なんて、もういないよ。いるのは、自分の力で周りを壊さないように息を潜めている、臆病な生き物だけ」
月影は、彼女の周囲に見えない「檻」があることに気づいた。 彼女自身が張り巡らせた、幾重もの強力な結界。それは外敵を防ぐためではなく、内側から溢れ出る力を封じ込めるためのものだった。 先ほど感じた空間の歪みは、この小さな体から漏れ出す莫大な霊気が、結界と衝突して生じていたのだ。
「なるほど。お前は力を隠しているのではない。制御できずに『封印』しているのか」 月影の指摘に、少女は図星を突かれたように体を強張らせた。 「……そうだよ。私の力は強すぎる。少し感情が高ぶるだけで、嵐を呼び、大地を砕いてしまう。だから私は、ずっとここで眠って過ごすしかないの。誰かを傷つけないように」
3. 解放の儀
月影は静かに金剛杵(こんごうしょ)を構えた。 「ならば話は早い。我ら『カタナ』が求めているのは、その制御不能な破壊力そのものだ」 「え……?」
「私がその檻を壊す。力のすべてを解放してみせろ。それができなければ、お前は一生ここで怯えて暮らすことになる」
月影は躊躇なく、少女の結界に向けて呪符を放った。 『急急如律令! 破!』 轟音と共に、少女を守っていた結界が砕け散る。

「や、やめて! 抑えていたのに!」 少女の悲鳴は、瞬時に凄まじい雷鳴にかき消された。 封印から解き放たれた莫大な雷気が渦を巻き、岩山を粉砕しながら天へと昇る。その中心で、少女の姿は光に包まれ、巨大な白い獣へと変貌を遂げた。
『グオオオオオオッ!!』 顕現した白虎は、理性なき暴走状態にあった。その咆哮だけで周囲の岩盤がめくれ上がり、無数の落雷が雨のように降り注ぐ。
4. 嵐を御する者
暴走する神獣の力は、まさに天災そのものだった。だが、月影はその嵐の中心で、冷静に黒翼をはためかせていた。
「力に飲まれるな! 己が力すら御せぬ者に、最強の座は務まらん!」 月影は、降り注ぐ雷撃を避けるのではなく、金剛杵で受け止めた。
『陰陽術式・避雷針(ひらいしん)』

彼を中心に展開された術式が、白虎の放つ無秩序な雷を一点に集約し、地面へと流していく。 白虎は苛立ち、巨大な爪で月影を引き裂こうと襲いかかる。その速度は雷光そのもの。 しかし月影は、紙一重でそれを躱し、逆に白虎の懐へと飛び込んだ。
「その力、私が導線となろう。……鎮まれ!」
月影の手が、白虎の眉間に触れる。彼は攻撃魔法ではなく、最高位の「鎮魂(たましずめ)」の呪符を直接叩き込んだ。 莫大な霊力の奔流が月影の体を駆け巡り、彼の体に負荷をかける。しかし、月影は決して手を離さず、暴れるエネルギーを強制的に循環させ、安定させていった。
5. 真のテスト
やがて雷鳴が止み、土煙が晴れる。 そこには、元の少女の姿に戻り、荒い息をついているコハクと、その前に涼しい顔で立つ月影の姿があった。
「はぁ、はぁ……嘘。私の全力の暴走を、正面から受け止めて、鎮めたの……?」 少女は信じられないものを見る目で月影を見つめた。恐怖の対象だった自分の力を、この男は完全にコントロールしてみせたのだ。
月影は乱れた装束を直し、静かに言った。 「これで証明されただろう。お前の力は、正しく使えば脅威ではない。我々の元へ来い。その力の使い道、私が示してやる」
少女――コハクの目に、初めて希望の光が宿った。彼女はゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げた。 「……うん。わかった。あなたになら、ついていく」

こうして交渉は成立した。 ……かに見えた。
その時、コハクが顔を上げ、月影を見てニヤリと笑った。その表情は、先ほどまでの儚げな少女とは別人のものだった。
「――なんてね。合格だよ、陰陽師のお兄さん」
「……何?」 月影が眉をひそめる。
コハクはパンパンと着物の埃を払い、あっけらかんと言い放った。 「あの結界はね、私の力を封じてたんじゃないの。外から来る奴の力量を測るための『壁』だったのよ」
彼女は最初から、自分の力を完全に制御できていたのだ。 「あんな見え透いた結界も壊せないような奴なら、追い返すつもりだった。でもお兄さんは、結界を壊しただけじゃなく、私の暴走のふりまで完璧に捌いてみせた。あーあ、久しぶりに本気で雷出したらスッキリした!」

彼女はペロリと舌を出すと、自身の体ほどもある大太刀を軽々と肩に担いだ。 「強い男は嫌いじゃないよ。約束通り、あんたたちの『カタナ』になってあげる。私の背中、預けてもいいんでしょ? 相棒(・ ・)」
月影は数秒沈黙した後、深くため息をついて頭を抱えた。 (……完全に化かされたか。食えぬ獣だ)
八咫烏の冷静沈着な幹部は、岩山に響く少女の高笑いを聞きながら、これから始まる騒がしい日々を予感していた。

