第3章-4 鬼人の里

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第3章-4 鬼人の里

1. 人喰らいの谷

カタナの国境を越え、幾重もの山を越えた先。鬱蒼と茂る原生林に覆われたその谷は、古来より「人の立ち入らぬ魔境」として恐れられていた。 湿った苔と土の匂いが立ち込める森の深淵に、三つの影が音もなく降り立つ。 八咫烏衆の精鋭――天音(アマネ)、黒鉄(クロガネ)、虎徹(コテツ)である。

彼らが谷底へ足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような殺気が森全体から膨れ上がった。木々の隙間、岩陰、頭上の枝葉……数え切れぬほどの視線が彼らに突き刺さる。

「貴様ら、ここを鬼の里と知ってのことか……」

どこからともなく、地底から響くような野太い声が轟いた。 黒鉄はひょうひょうとした足取りで一歩進み出ると、大げさに肩をすくめてみせた。

「これは失礼。我らはカタナ直属の『八咫烏衆』という者です。決して怪しい者では――」 「カタナ……!」

黒鉄の言葉を遮り、空気が凍りついた。 ドォォォン!! 直後、空から巨大な岩塊が落下したかのような衝撃が地面を揺らす。土煙の中から姿を現したのは、身の丈三メートルはあろうかという巨躯の赤鬼――「鬼王(キオウ)」であった。

「我らの仇敵ではないか。ふふふ……食ろうてやるわ」

鬼王がギラリと牙を剥き、一歩踏み出すだけで地面が悲鳴を上げる。 圧倒的な質量の暴力。だが、黒鉄は顔色一つ変えずにヘラヘラと笑った。

「そなた達の力を借りたい」 「馬鹿を言うな!」

黒鉄の軽薄とも取れる態度に、鬼王の堪忍袋の緒が切れた。 「小賢しいわ!」 鬼王が丸太のような剛腕を振り上げ、黒鉄を叩き潰そうとしたその刹那――。

ズドン!!

乾いた破裂音が谷にこだました。 鬼王の眉間数センチ、放たれた銃弾が空気を切り裂き、背後の岩を砕いた。 鬼王の動きがピタリと止まる。恐怖ではない。興を削がれ、さらに激情をたぎらせたのだ。 銃口から立ち昇る硝煙の先で、天音が冷徹な瞳を向けていた。

「貴様……鬼族は力ある者だけを信じる。それゆえ力比べは不可侵の儀式。決闘の邪魔をするとは言語道断!」 鬼王の殺気が膨れ上がり、周囲の空気がビリビリと震える。 天音は銃を下ろすことなく、鋭い眼差しを向け続けた。

鬼王の怒声が衝撃波となって木々を薙ぎ倒す。 「人と鬼……貴様らと今までどれほどの争いをしてきたか、忘れたとは言わせぬぞ!」 「はは、そこを何とか」

天音が語る「ああ。解っている。貴様らも3人用意しろ。戦ってやる」

「おいおい天音ちゃん、気が早いよー。仲良くやろうよ。そう思うだろ虎徹?」黒鉄が慌てたふりをして振り返るが、虎徹は「……」と無言で刀の鯉口に親指をかけ、既に臨戦態勢に入っていた。 「あちゃー……」 黒鉄がわざとらしく額を押さえる。

鬼王は三人の立ち振る舞いを見て、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。 「決闘の申し入れか。それならば良いだろう」 鬼王が天を仰ぎ、独特の咆哮を上げる。 それに応えるように、森の奥から二体の屈強な鬼が現れ、王の両脇を固めた。

「我らと戦い、生き残れば話を聞いてやろう。だが死ねば、今夜の晩餐だ!」

2. 影の戒め、嘘の鎖

開戦の合図などない。刹那、六つの影が激突した。 鬼たちの力は想像を絶していた。一撃が岩を砕き、咆哮が鼓膜を破らんばかりに響く。 天音の銃弾が的確に急所を狙うが、鬼たちの鋼のような筋肉は容易には貫けない。虎徹の神速の斬撃も、鬼王の鋼の体と剛力によって防がれる。

「ガハハハ! どうした人間! その程度か!」3人の鬼の刃が襲い掛かる。

「覚醒」した鬼達の力に押され、八咫烏衆じりじりと後退する。このままでは力負けする――誰もがそう思った瞬間、黒鉄が叫んだ。 「虎徹! 今だ!」

虎徹が印を結ぶと、三人の足元の影が生き物のように蠢き、一気に膨張した。八咫烏衆の全呪力を注ぎ込んだ捨て身の連携術式。 影は黒い鎖となり、鬼王たち三体の足元から這い上がり、その巨体を瞬く間にがんじがらめに縛り上げた。

「ぬうっ!? 動けぬ!?」

鬼王が全身に力を込めるが、影は鋼鉄以上に硬く、微動だにしない。 だが、術を放った八咫烏衆の三人にも、もはや指一本動かす余力は残っていなかった。虎徹の額から脂汗が流れる。この拘束は強力だが、長くは持たない。あと数分……いや、数十秒か。

静寂が戻った戦場で、黒鉄が余裕たっぷりに声を張り上げた。

「どうだい。動けないだろう! ははは!」

黒鉄は体力が付きかけていること悟られぬよう、あえて口だけで挑発する。 「ただ、僕たちも動けないんだな。術の均衡を保つためにね。だから、このまま一生止まっているかい?」

もちろん真っ赤な嘘である。数分もすれば術は解け、魔力切れの彼らは鬼の餌食だ。 だが、単純ゆえに力に敬意を払う鬼たちは、その言葉を疑わなかった。

「動けぬ……なんという力だ。我らと互角に渡り合い、さらに時さえも止めるというのか……」 鬼王の額に冷や汗が伝う。 「勝つことも負けることも出来ぬとは……永遠の膠着……ぐぬぬ、よかろう!!」

鬼王の宣言と共に、黒鉄が合図を送る(ふりをして術を解いた)。 影が霧散し、両者は地面へと膝をついた。誰も致命傷を負わず、しかし精神的な勝負は決した。

3. 新たな盟約

荒い息を整えながら、天音が毅然と前に出た。 「少しだけ聞いてくれ。正式に和解したい。大将軍・怒龍様の伝言だ」

「何!……怒龍だと?」 鬼王が目を見開く。 「本当だろうな。あの傲慢な男が、鬼に貸しを作ると……? ガーッハッハッハ!」 鬼王の豪快な笑い声が谷に響く。かつての宿敵が頭を下げてきたという事実が、彼に奇妙な満足感を与えたようだ。

「今回は他国との死闘になります。相手は極北の『ゼレウス』」 天音は地図を広げ、指し示した。 「道中は『エリアG-16』――機械の国を通る必要があり、その危険もあります」

「あの氷の女王か……それに、あの忌々しい鉄屑どもの領域を通るだと?」 鬼王は腕を組み、唸るように考え込んだ後、ニヤリと笑った。

「……それなら山を3つだ。領地をよこせ」

あまりに直球な要求に天音が一瞬言葉を詰まらせるが、黒鉄が食い気味に答えた。 「おー、ありがたい! 伝えておくよ。私からも融通を利かせよう」 「黒鉄、勝手に……」 天音が咎めようとするが、黒鉄はウィンクで制す。今は成立させることが先決だ。

「ふん! 約束を違えれば、いつでも貴様らに牙を剥くぞ」 鬼王が脅すように喉を鳴らす。 黒鉄は肩をすくめて笑った。

「噛まれないようにしなくちゃな」 「一言多いですよ」

天音が呆れ混じりに突っ込む。 こうして、八咫烏衆は最強の「力」を手に入れた。鬼王とその配下の戦士たちが、地響きを立てて彼らの背後に続く。 一行は、決戦の地となる城へと帰還の途についたのだった。

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