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第3章-6 秘境の化けくらべ

その場所は、現世から切り離されたかのような静寂に包まれていた。 鬱蒼とした森の奥深く、古の神社が鎮座する秘境。豊かな水を湛える巨大な泉には幾筋もの滝が流れ込み、轟音と共に白煙のような水飛沫を上げていた。
そこへ、鮮やかな紅の衣を翻し、一人の少女が降り立つ。 カタナの国の王「怒龍」の娘、紅姫である。
「ここか……」
彼女は辺りを見回し、泉のほとりで酒器を傾けている一匹の獣に目を留めた。編み笠を被ったタヌキの魔獣、大福である。

「やや、そこのタヌキ。この辺りに若い陰陽師を見なかったか? 『若』を探しておるのじゃ」
紅姫が声をかけると、大福は不愉快そうに眉をひそめ、持っていた徳利をゆっくりと置いた。
「ふむふむ、今日はおかしな日よの。聖地に頭の抜けた小娘が迷い込んできたかと思えば……この大福様をただのタヌキと間違えよる。さては迷子か? お嬢ちゃん」
その言葉に、紅姫の可憐な眉がピクリと跳ね上がる。

「……おいタヌキ。鍋にして喰ろうてやるぞ」 「なんじゃと? やれるものならやってみよ、小娘」
二人の視線の間にバチバチと火花が散る。一触即発の空気が流れたその時、ドスン、と地響きと共に巨大な影が割って入った。
「大福殿、お待ちを。喧嘩はいけません」
現れたのは、侍の装束を纏ったゴリラの魔獣、轟雲だ。彼はその厳つい風貌に似合わぬ穏やかな口調で、紅姫に向き直り恭しく一礼した。

「このお方は、炎王――怒龍様の娘殿のようです」
大福が目を丸くして轟雲を見上げる。 「ふむ……なぜ解る?」 「炎王の匂いがしますゆえ」 「……なるほど。噂通りのじゃじゃ馬な姫様ですな。」
轟雲の言葉に、紅姫は自分の袖口に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。 「おお、少しは話が通じるゴリラがいたものじゃ!」
「ホホ、元気が良くて良いではないですか」轟雲は豪快に笑うと、話を本題に戻した。 「そういえば、陰陽師をお探しですかな?」 「そうじゃ! あ奴、戦が始まるというのに、なかなか見つからぬのじゃ。家にも帰って来ぬし、困ったものよ」 「それでしたら、白癒の妖狐という魔獣が知っているかもしれません。彼女から微かに人間の匂いがしていました」

「ほう! それは有難い。して、その白癒の妖狐とやらはどこにおるのだ?」
紅姫が身を乗り出した瞬間、大福がポンと手を叩いて割って入った。
「ちょっとお待ちを、姫君」 「なんじゃタヌキ、教えてくれるのか?」 「先ず、、、大福と呼んでいただきたい! ……妖狐の居場所を知りたくば、わしと『変化の術』で勝負しませぬか? 勝てば教えましょう。まさか……自信がないからと逃げますまい?」

大福はニヤリと挑発的な笑みを浮かべる。微笑む紅姫の瞳がギラリと光った。
「このタヌキ……まだ根に持っておるな、、やはり鍋にするか」

「いざ、尋常に勝負!」大福は紅姫の返事を待たず、ポン!と白煙に包まれた。 煙が晴れると、そこには見上げるような巨体を持つ、悍ましい鬼のような魔物が立っていた。裂けた口から鋭い牙を覗かせ、大福(化)は勝ち誇ったように叫ぶ。

「どうじゃ! あまりの恐ろしさにガタガタ震えが止まらないじゃろ!」
大福は勝利のポーズを決め、紅姫を見下ろそうとした。 だがその時、彼の視界が急激に暗くなった。雲が太陽を遮ったわけではない。もっと巨大な何かが、彼の頭上を覆っていたのだ。
「……な?」
大福が恐る恐る見上げると、そこには山脈のごとき威容を誇る「白き龍」が鎌首をもたげ、黄金の瞳で大福を見下ろしていた。伝承に伝わる白龍に化けて見せたのだった。 その神々しくも圧倒的なプレッシャーが襲い掛かる。

「ひ、ひぃぃ……ッ!」
大福の膝が笑い、全身がガタガタ震える。恐怖で変化を維持できず、ポンッという音と共に元のタヌキの姿に戻ってしまった。
大福が目を両手で隠してうつむいていると、白蛇は瞬く間に紅姫の姿へと戻った。彼女は涼しい顔で着物の乱れを直す。
「勝負あったな。さあ、吐け。白癒の妖狐はどこじゃ」 「あ、あっちの……雪山の麓の洞窟におります……」
大福はまだ涙目で震えていた。 そんな大福の元へ歩み寄った紅姫は、屈み込むと、不意にその頬へ「ちゅ」と軽い口づけを落とした。

「!!」 「約束を守って偉いぞ。ふふ、可愛い奴じゃな」
悪戯っぽく微笑むと、紅姫は「ではな!」と言い残し、軽やかに空へと飛び去っていった。
後に残されたのは、呆然とする二匹の獣。 大福は口をぽかんと開けたまま、頬に手を当てて放心している。その隣で、轟雲が空を見上げながらのんびりと呟いた。
「……今日はいい天気ですね」

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